人災 MADE IN JAPAN  −国会事故調の報告書から見える ”悪い日本的なもの”

7月5日、福島第一の事故を検証する国会事故調が最終報告書を提出した。各メディアとも、今回の原発事故を「人災」と位置付けた同報告書を大きく取り上げ、概ね高い評価をしている。
今回の事故で指摘された人災は、あまりに日本的な、MADE IN JAPANな人災 = リスクマネジメントが出来ない組織・制度の構造問題である。戒めのため、また、この悪い日本的なものを変えるきっかけを掴むためにも、メモしておきたい。

国会事故調 最終報告書が指摘する「人災」

■まずは、メディアの基本論調は、、
朝日新聞では
原発事故は「人災」と断定 国会事故調が最終報告
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201207050175.html

東京電力福島第一原発事故を検証する国会事故調査委員会黒川清委員長)は5日、最終報告書を決定し、衆参両院議長に提出した。東電や規制当局が地震津波対策を先送りしたことを「事故の根源的原因」と指摘し、「自然災害でなく人災」と断定。首相官邸の「過剰介入で混乱を招いた」として、菅直人前首相の初動対応を批判した。東電が否定している地震による重要機器損傷の可能性も認め、今後も第三者による検証作業を求めた。

ウオール・ストリート・ジャーナル日本版では
福島原発事故は規制当局と事業者のもたれ合いによる人災=国会事故調
http://jp.wsj.com/Japan/node_472978

東京電力福島第1原発事故を調査してきた国会の事故調査委員会は5日、事故の原因は政府、規制当局、東京電力の過失によって引き起こされた人災だとする報告書を公表した。

 10人の委員で構成される事故調は640ページにわたる報告書で、規制当局と東電が最も基本的な安全基準の構築を怠ったために福島第1原発は2011年3月11日に発生した地震津波に対して脆弱(ぜいじゃく)な状態であったとし、原子力事業者および監督官庁を厳しく批判した。

今回の事故が、人災であったことの認定を大きく取り上げている。


■国会事故調の最終報告書
最終報告書は、ここからダウンロードできる。
http://www.naiic.jp/blog/2012/07/05/reportdl/

この調査委員会は、国民の代表である国会の下に設立された、憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立した第三者組織で、国政調査権に基づく権限を持つ。福島第一の事故の検証は、当事者である政府や、民間も実施しているが、証人喚問や資料提出要求などの権限による幅広い調査を実施した第三者の検証報告書は、将来においても最も価値を持ち、常に参照される資料となるだろう。
このため、同報告書が示す認識は、非常に重たい。今、大飯原発再稼働で日本は揺れており、今の時期に同報告書の提出は無意味だとする意見もネットではあるようだが、それこそナンセンスである。

この報告書の「人災」に関わる点について、少し読んでみよう。
【事故の根源的原因】
”当委員会は、本事故の根源的原因は歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊が起きた点に求められる。」と認識する。
何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である”

ここで、人災と考える根拠が述べられる。例えば
・耐震基準新指針を保安院が、全国の原子力事業者に対して、耐震安全性評価の実施を求めたが、東電は、最終報告の期限を平成 21年 6 月と届けていたが、いつしか社内では平成 28年 1 月へと先送りされた。東電 及び保安院は、新指針に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1 〜 3 号機については、全く工事を実施していなかった。

・平成 18年には、福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は、東電が対応を先延ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。

・安全委員会は、平成 5年に、全電源喪失の発生の確率が低いこと、原子力プラントの全交流電源喪失に対する耐久性は十分であるとし、それ以降、長時間にわたる全交流電源喪失を考慮する必要はないとの立場を取ってきたが、当委員会の調査の中で、この全交流電源喪失の可能性は考えなくてもよいとの理由を事業者に作文させていたことが判明した。

などの怠りがあり、これらの対策を実施していれば、今回の事故は防げた可能性があるとして人災と断定している。

そして、規制当局は電力事業者の「虜(とりこ)」になるような歪な組織・制度問題を人災の根源問題とした。

東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけてきた。この圧力の源泉は、原子力政策推進の経産省との密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位置付けられていた。
規制当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、事業者の主張する「既設炉の稼働の維持」「訴訟対応で求められる無謬性」を後押しすることになった。このように歴代の規制当局と東電との関係においては、規制する立場とされる立場の「逆転関係」が起き、規制当局は電力事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる

原発の運転上の問題の評価】
”当委員会は「過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練、機材の点検がなされ、また、緊急性について運転員・作業員に対する時間的要件の具体的な指示ができる準備があれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。すなわち、東電の組織的な問題である」と認識する。”

例えば、”ベントライン構成についても、電源が喪失し放射線量の高い中でのライン構成作業自体が困難であり、かつ時間がかかるものであった。シビアアクシデント手順書の中の図面も不備であったことが判明しており、見づらい図面を時間に追われつつ、懐中電灯で解明する作業を強いられた。” 
ことは、福島第一原発脆弱性を認識していた東電の不作為な組織的問題として、「人災」の面がある。

【緊急時対応の問題】
”当委員会は、事故の進展を止められなかった、あるいは被害を最小化できなかった最大の原因は「官邸及び規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」、そして
「緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧であったこと」にあると結論付けた”

例えば、”官邸は、発災直後の最も重要な時間帯に、緊急事態宣言を速やかに出すことができなかった。本来、官邸は現地対策本部を通じて、事業者とコンタクトをすべきとされていた。しかし、官邸は東電の本店及び現場に直接的な指示を出し、そのことによって現場の指揮命令系統が混乱した。” 
ように官邸、保安院は責任を持って緊急時にやるべきことが果たされていないばかりか、東電がやるべきことに無責任にも乗り出した「人災」があると。

【被害拡大の要因】
”当委員会は、避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、「これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが、今回の住民避難の混乱の根底にあり、住民の健康と安全に関して責任を持つべき官邸及び規制当局の危機管理体制は機能しなかった」と結論付けた”

例えば、 ”立地町でさえ、3km 圏避難の出た 21 時 23 分には事故情報は住民の 20%程度しか伝わっていない。10km 圏内の住民の多くは 15 条報告から 12 時間以上たった 3 月 12 日の朝 5 時 44 分の避難指示の時点で事故情報を知った。しかしその際に、事故の進展あるいは避難に役立つ情報は伝えられなかった。” 

【問題解決に向けて】
これらの調査結果をもとに、 ”当委員会は、事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える。この根本原因の解決なくして、単に人を入れ替え、あるいは組織の名称を変えるだけでは、再発防止は不可能である” としている。

組織・制度的なリスクマネジメントの欠落が人災を引き起こし、その解決なくして再発防止はないと。

MADE IN JAPANの人災=リスクマネジメントが出来ない組織・制度構造の「問題」

この報告書は、英語でも記述されており、世界中の多くの人が読むことになるだろう。今回の原発事故の最大の要因が「MADE IN JAPANの人災」と知らされた時、従来からのちょっと愛嬌がある「不思議な国ニッポン」とは異なるクレージーさに驚愕するとともに、大きな違和感を持つかもしれない。

当然、日本人としては、再発防止も含め、このMADE IN JAPANの人災=リスクマネジメントが出来ない組織・制度構造の問題は大きい。
報告書の事故に関する認識でも、
”当委員会は、「事故は継続しており、被災後の「福島第一原発」の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである”
とし、国会議員や国民の改革に向けた努力を提言している。

では、MADE IN JAPANの人災=リスクマネジメントが出来ない組織・制度構造の「問題」は、何故生じるのだろうか?

報告書にはその問題についても言及している。

(その根本原因は、、)日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。
そこには、ほぼ 50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。
この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。

長い期間によって日本の政治、政官財の連携、雇用システム、マインドセットが劣化したと。確かに指摘のとおりだろう。

では、長い期間で顔を出してくるものは、日本のある特有のもの(MADE IN JAPAN)だろうが、それは何か? それは、例えば自民党から民主党に代わるなどの変化によって変わるのだろうか?
ストレートに言うと、今回の原発事故に至ったことと先の敗戦に至ったことは同じ構造だったとして、「第二の敗戦」と唱える人がおり、僕もそうかなと思うのだが、そのような繰り返しを召喚するものは何か?

原発事故「人災」の奥深くにある日本的な悪いもの
今回の報告書でも、東電や保安院、官邸などのその時々の情況での無責任体質を指摘しているように読める。

・東電は、福島第一原発脆弱性を認識していながら、当時の経営的な利益重視、かつ過酷事故は起こらないという楽観的な情況判断で、耐震強化などの投資をしなかった。
そのような判断をすると、大して金もかからない事故対策も、事故が起こらないのだから、と放置してしまう無責任さを徹底した。

保安院は、規制当局でありながら、当時の東電に比べて能力が劣化している情況のもと、東電の不作為を見過ごした。そのような危機管理意識の低さから、事故当初の住民避難など緊急時対応判断が無責任になった。

・官邸は、緊急事態時の最大の責任者でありながら、楽観的にもその情況への備えがなく、速やかに機能することができなかった。逆に本来の機能ではない、東電が主体となるべき事故対策に直接的な指示を出し、現場の指揮命令系統が混乱させるなど無責任なことをした。
菅さんがヘリで事故の現場に飛んだのは、その当時の情況を判断したパフォーマンスだったと多くのメディアが指摘したが、そうだったかもしれない。

いずれも、「楽観さ(による現実認識の甘さ、というか現実を見ないものとする態度)」「その時々の情況による判断(の甘さ、混乱)」「組織的な無責任さ(責任ある行動が出来ない)」が浮かび上がってくると思う。
当然、これでは、リスクマネジメントが出来るわけがない。

リスクマネジメントとは、ウィキペディアにもあるとおり「リスクを把握・特定することから始まり、把握・特定したリスクを発生頻度と影響度の観点から評価した後、リスクの種類に応じて対策を講じる一連のプロセス」というリスクを客観・相対的に考えて行動することが基本である。
原発事故ならびにその原因となった東北大震災・津波というリスクを客観・相対化するリスクマネジメントの態度と、今回浮かび上がってきた態度は真逆と言える。

これが日本の特有のもの(MADE IN JAPAN)で、それが人災の根本原因であるならば、ぞっとする奥が深いことだ。はい、明日から変わりましょう!と簡単に変わるものじゃないだろう。

同報告書では、7つの提言を示しており、非常に説得力がある。これらの実行は早急に実施すべきと思う、
と同時に日本特有の悪いもの、すなわち 「楽観さによる現実認識の甘さ、現実を見ない態度」 「その時々の情況による判断の甘さ、混乱」 「組織的な無責任さ」と、その背景にある 「客観・相対化する態度の無さ」 を相対化しないとまずいよねと思う。