2012年の電力自由化骨子が固まる、、  これで電気代が安くなるわけじゃない中、自主的な電気利用を少し考える

経済産業省の電力システム改革専門委員会は、7月13日に「電力システム改革の基本方針」を決めた。ポスト3.11時代、日本も大きく「電力自由化」に向けた動きを始めることになり、期待している。
検討課題は山積みだが、自由化=市場化でユーザがメリットを受けるためのチェックポイントを整理したい。


■まずは、全体的に見ると、、

小売り全面自由化へ=電力改革で基本方針−経産省専門委
時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2012071300811

経済産業省の電力システム改革専門委員会(委員長・伊藤元重東大大学院教授)は13日、電力改革の基本方針を策定した。「全ての国民に『電力選択』の自由を保証する」と明記し、一般家庭も含めた小売りの全面自由化や、発電と送電を行う事業者を分離する発送電分離の推進を盛り込んだ。電力事業の自由化を一段と進め、新規参入や電力会社間の競争の促進を図る。
 基本方針は8月以降に策定する新たなエネルギー基本計画に反映される。専門委は年内をめどに具体的な制度設計や工程表をまとめる予定で、経産省は来年の通常国会電気事業法改正案を提出する方針。
枝野幸男経産相は「電力システムの改革は国家100年の計。政府としてもこの方針に沿って歩み出したい」と意欲を示した。

2030年の発電における原発の比率(0%、15%、25%)も含めて、エネルギー基本計画に電力改革=自由化が盛り込まれると。年内には、具体的な制度やスケジュールが出されるようだ。

その電力改革は、発送電分離、家庭向け小売と料金の自由化、発電の競争促進が3大柱となる。


資料:日経新聞より

発送電分離(送配電網のオープン化)
送配電と発電については、現在、電力会社が一体化して手掛けている発電事業と送配電事業をわける「発送電分離」の方向性を打ち出した。電力会社が所有する送配電網をオープン化し、新たな発電会社など「新電力」の参入を一層促進する。

送配電網のオープン化は、1)電力会社から送配電網の「所有を分離」する完全切離し型方式、2)送配電網の運用を独立した外部の機関に任せる「機能分離」方式、3)電力会社の送配電部門を会社内やグループ内で分社化する「法的分離」方式があるが、機能分離方式か法的分離方式のどちらかを今後詰めるようだ。さすがに、送配電網資産の所有を分離する方式は、電力会社の経営にインパクトが大きすぎると判断された。
このオープン化された送配電網は、公共財の位置づけで既存の電力会社にも、新電力にも公平に提供されることになる。

また、電力各社の供給区域を越えた電力融通を増やすため独立の「広域系統運用機関」を新設して、電力会社同士の競争を促進させるとともに、連係ネットワークを太くすることで電力融通を拡大する。
東日本大震災では、余力のある西日本側の電力会社から東日本側へスムーズに電力融通できなかったが、今後の有事の電力需給が安定する効果は大きい。

送配電のオープン化と広域系統運用は、電力事業者間の競争を促進する前提になるし、それによりユーザも電気料金が安くなることが期待できる。
今後の制度設計のポイントは、オープンな送配電網を利用する場合の網使用料の設定。これが高くなりすぎたら、新電力側の魅力的な低価格サービスが出来なくなる危険がある。今後、この辺をまずチェックしなくちゃいけない。


■家庭向け小売と料金の自由化
一足早く自由化した工場など大口電力市場と同様に、小口の家庭向け電力も自由化され、いろいろな新電力から電気が買えるようになる。電気料金に関しては、自由化で競争が進んだのを確認できれば、極めて評判が悪い 「総括原価方式」を廃止し、電気料金を自由化する方針のようだ。

では、これらの電力自由化で、ユーザにとってありがたい電気料金の値下げは実現するのか?

これは、まだわからない。
家庭向け新電力会社(PPS(特定規模電気事業者))が低価格の魅力的な電気サービスを行い、ユーザをどんどん獲得し始めたら既存電力会社との競争状況が発生すると、料金は下がることになる。
この辺は、同じネットワークインフラ事業である電話やインターネット接続サービスと似たような構造だ。

ただ、すでに自由化されている電力小売りの60%近くを占める大口需要家市場を見ても、新電力/PPSのシェアは約3%程度と低く、既存電力会社の独壇場になっている。
ポスト3.11は、東電はじめ電力会社への非難が大きく、PPSのシェアが高まってもよさそうだ。が、PPSは売り物である電力を確保することが難しく、自前の発電所を持たない業者は、開店休業のところもあるトホホ状況。とても競争市場による価格低下が起こっているとは言えない。

単に自由化されても、競争市場が活性化しないと、ユーザのメリットである魅力的な電気料金は実現されないのは確かだ。


■大事な発電分野の競争促進策
発電の分散化・多様化や電力を調達する市場(電力卸市場)の活性化は地味だが、電力の競争市場を形成するためには重要だ。

新電力/PPSが安定的に電力を確保するために、卸電気会社(Jパワー(電源開発)と、敦賀や東海原発を運営している日本原子力発電の2社です)が新電力会社に電力を卸しやすくしたり、既存電力会社の余剰電力を電力卸市場に強制的に提供させる制度を検討しているようだ。

日本では、2005年から卸売市場で電力を売買できるようになっているが、その取引電力量は需要全体の約1%と、ほとんど市場の名に値しない。
欧州ではオープンな電力市場からの電力調達が約40%程度と言われており、日本は足元にも及ばない状況にある。

この原因は、電力会社同士の相対取引が中心で、オープンな電力卸市場をそもそも使わないということと、既存電力会社が電力の売り惜しみをしていて、そもそも売り物である ”電力のタマ” がないということ。
既存電力会社は、同市場に余剰電力を売れば収入を得るが、それによって新電力が電力調達することを阻止したいという思惑は、よく指摘されている。
このため、欧州のように電力会社に対して余剰電力を強制的に電力卸市場に排出させるなどして卸電力市場を活性化させ、それによって新電力会社が売り物の電力を調達しやすくするなどの制度設計が必要になる。

電力卸市場の活性化政策や仕組みづくりを、今後もユーザとしてチェックする必要がある

それから、PowerProducer&Supplierの名にふさわしいPPS事業者の台頭が起こるかどうか。
日本の発電容量のシェアは、電力会社が73%と結構低くてびっくりするが、その他に卸電気事業者・商社や石油会社などが参入したIPP(卸電力事業)が12%、一般企業の自家発電が15%で、PPSは0.3%に過ぎない。
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0425/item_070425_07.pdf

メガソーラー発電事業者など、単に太陽光発電を電力会社に買い取らせるタイプではなく、家庭ユーザに安く届けるPPSとしての拡大が期待される。
この辺の動きをユーザとしてチェックしたり、このような再生可能エネルギーPPS会社の住んでる場所への取り込みや、会社自体の立ち上げの企画・参画などは面白いテーマだ。
まあ、新聞などで一部書かれているような、「少し電気料金は高くても、太陽光など再生可能エネルギーのみの電力会社と契約する」家庭などほとんどないだろうから、自ら再生可能エネルギー会社を呼び込み、それに乗っかって、お値打ち、かつ太陽光などを中心とした電力をgetすることを実践すると。

ただ、現時点では、上記のようにIPPや自家発電も電力卸市場は活用せず、もっぱら電力会社への提供のための相対取引を行っているのが実態だ。
大口需要家市場は既に自由化されているとはいえ、所詮、既存電力会社を中心に回っている。家庭市場が自由化されても、発電・電力卸市場での競争促進政策がないとユーザメリットは期待できないため、この辺もチェックする必要がある。


電力自由化は、歓迎すべきこと。ただ、その果実を得るための覚悟は?
以上のように、昨日の経済産業省 電力システム改革専門委員会による「電力システム改革の基本方針」、つまり本格的な電力自由化は、非常に魅力的だ。ただし、その自由化によって、自動的に利用者の電気料金が安くなったり、省エネが進んだりする、わけではない。

利用者メリットが出るような電力自由化市場の制度設計が今後行われるかどうか、、先に挙げたような利用者目線のチェックが必要だ。
他にも、住んでいる地域の住民同士で太陽光など再生可能エネルギー中心のPPSを呼び込んだり、会社をつくったりなどのチャレンジも、面白い取組として挙げられる。
これらの動きと合わせ、自分で太陽光パネルを設置したり、電気利用の見える化など省エネの投資をする人も増えるだろう。

これは、ある意味、非常に面倒なことを消費者が引き受けるということで、今までのように電力会社にすべてお任せする世界から離れるということだ。

つまり、電力の自由化という前提、それは悪者の東京電力いじめなどではなく、電力市場の調整機能を信じ、その市場機能に委ねることの覚悟も求められる。自分も参画する電力市場がいまいちなら、電力料金が上がるリスクも引き受けざるを得ないということ。

電力自由化は、歓迎すべきことと思う。 ただ、その果実を得るためには、利用者の立場としてのチェックや、自らPPSを呼び込むようなアクションなどの主体性が必要になってくる。

そのような覚悟、、というと大げさだが、、が求められるということだ。まあ、当たり前だが。