福一国会事故調報告書に対する欧米メディアの批判、、、「MADE IN JAPAN」が、まんま世界に流通する時代と思うゆえに、同報告書を擁護する

福島第一原発事故に関する国会事故調の報告書は、英語でも紹介されているため、海外の論調も盛んだ。海外でも、福一の原発事故の関心は高いし、当然と思う。
日本国内のメディアは、海外の反論を面白がって紹介しているが、それに釣られて、今回の事故調報告書を擁護する立場で少し書いてみる。

この件の国外のメディア論調は、下↓の記事が簡単にまとめているので、それを引用しよう。
”国会事故調「日本文化論」についての一考察”
http://blogos.com/article/43020/?axis=&p=1

ライターは竹田圭吾さんという方で、ニューズウィーク日本版編集主幹をされているようだ。(僕は知らない)
彼がまとめた海外論調を、ちょっと紹介すると、、

ブルームバーグは7月8日の社説で「国会事故調の報告書が極めて物足りないのは、福島で起きた惨事を文化がもたらした災厄と結論づけていること」であり、責任を日本の集団主義に帰するのは「責任逃れ」であると批判。・・略

フィナンシャル・タイムズ(FT)は「クライシス後の「メード・イン・ジャパン」レッテルにご用心」と題した東京支局長による記事で、しがらみのない黒川氏を国会が起用したことを評価しつつも、「福島の事故を文化的な文脈で説明しようとするのは危険がある。ある国の文化を定義すること自体、そもそも難しい」と疑問を呈した。
「日本のすべての企業や規制当局が複雑な技術的システムを安全に運用する能力を本来的に欠いているわけではない。たとえば新幹線は1964年の開業以来、死者を出す衝突事故や脱線事故を一度も起こしていない」と指摘した。・・略

英紙ガーディアンは「文化のカーテンの陰に隠れる国会福島報告書」と題した記事で、新渡戸稲造の「武士道」がH・G・ウェルズやインドの思想家ラビーンドラナート・タゴールにも影響を与えたことや、戦後日本の高度成長を説明するのに「疑似文化論的な分析」がたびたび利用されたことなどを振り返りつつ、「メード・イン・ジャパンの論点を持ち込むことは特異性を重視しようとする人々を喜ばせ、すでにあるステレオタイプを補強することになる。
そもそも報告書が挙げた従順さや権威を疑うことへのためらいは日本だけに特徴的なことではなく、すべての社会にあまねく存在する性質だ」と指摘。「死活的に重要な事故の報告書を文化で虚飾すれば、世界全体に困惑させるメッセージを送ることになる。とりわけそれが、テクノロジーの進化に先端的な役割を果たしてきた国から発せられるとすれば」と批判した。・・略

という感じ。

僕が、直接読んだのはFTの記事と、その翻訳記事のみで、他のブルームバーグ、ガーディアンは、上記記事のみの情報。FTの翻訳はこちら。引用は著作権上しない。
「文化のせいにしては将来の原発危機を防げない「メード・イン・ジャパン」のラベルに潜むリスク」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35630

FT記事で言えば、今回の原発事故の原因を、 ”日本文化” に起因するというあいまいな分析はダメだし、それの悪影響として、もっと文化・情況的にいいかげんな国(まあ、中国とか)が原発を建設・運営している今の世界状況を踏まえ、それらの国が「今回の事故はMADE IN JAPANだから、うちの国には関係ない」と解釈するリスクは高い、と指摘している。
今までの日本の言説を理解しているFTの言い方は、そうかもね、と思う。

また、他の海外記事も含め、事故調の黒川委員長が書いた、 ”はじめに” の表現が、日本語と英語でかなり違うことの違和感が指摘されている。英語では、「MADE IN JAPAN」という表現も含め、辛辣な批判をしているのに対し、日本語では、”(もう少し)穏当な表現” が使われている違いに対する批判だ。
これは、各国の購読者に対する ”わかりやすさ” として、グローバル・スタンダードと思うけどね、、ということで、大したことないと思う。

海外の批判記事で勢いを得た、国内の事故調報告書への批判もある。例えば、(いつも楽しく読ましていただいているのだが、、)池田信夫さんの、この記事とか。
  ”福島原発事故は「メイド・イン・ジャパン」か”
  http://blogos.com/article/42696/?axis=b:80

・・・その原因が「日本人の特殊性」だとするなら、世界の他の原発は安全だということになる。今回の事故の教訓をこのような文化論に帰着させるのは見当違いである。これは世界共通の問題であり、報告書もいうように「最新の科学的知見を規制に反映させる」しかない。

あれ、FTが懸念していたこと(今回の事故はMADE IN JAPANだから、うちの国には関係ない)を断定してしまっている。。。

まあ、僕は、上に挙げた海外(国内も含むが)の ”日本の文化に起因した” を原因とする原発事故分析は甘いという批判的な論調も、そうかもね、と感じてしまう。

だから、海外の有名メディアに反論!! とか、肩を怒らせてするつもりはない。(まあ、超弱blogがしても、あれだが、、、)

僕が、思うことは、
・今回の事故調は、(現時点で限界はあるが)しっかりファクトベースの積み重ねをしていて
   (あらためて、これ参照 http://www.naiic.jp/blog/2012/07/06/reportdl2/
 
・それを概括的、俯瞰的に見れば、やっぱし「MADE IN JAPAN」というしかない事故原因が多く、
   (この辺は、前に書いた ”人災 MADE IN JAPAN  −国会事故調の報告書から見える ”悪い日本的なもの”を参照)
    http://d.hatena.ne.jp/morissk/20120707/1341651860

・「MADE IN JAPAN」とか個別状況じゃなく、「普遍的な」問題を明らかにすべきという「欧米的な論理」が、今ボロボロになっていて、説得力がなくなっていて、、
   (ギリシャ危機レベルでぐちゃぐちゃする欧州とか、引きこもりつつある米国とか、見てよ)

・かつ、昔の「MADE IN JAPAN」という言魂には、「すごい品質!」イメージが乗っていたが、今の日本にそれが亡くなっていて、、
   (韓国や中国の後塵を拝している、「MADE IN JAPAN」の象徴である家電を見てよ)

という中、「MADE IN JAPAN」は、本当にローカルな文化を指していて、同報告書は、まさにそれが問題だった、、という当たり前のことを言っているに過ぎないということ。
過剰な意味はないよ。

今後、あまり想像したくないが、中国でも、インドでも、そして欧米でも原発事故はあり得る。その時、これは確信を持って言うが、というか、同語反復的な当たり前のことだが、事故原因の大半(原発プラント技術が進歩している今では、)は、各国固有のものだ。(原発のオペレーションや規制をするのは各国だ。スリーマイル、チェルノブイリ、福一の事故で共通の問題はくくりだせるのだが、その問題の根本原因は、やはり各国固有のものだ)
事故調の報告書の ”はじめに” 文章は、各メディアの突っ込みを受けたが、報告書自体は各自が評価すべきだと僕は考えている。

FTのおちょくり記事に釣られて、上記のように当たり前のことを書いたが、 ”日本の文化に起因した” のが原因という当たり前のことを、FTなどの世界の購読者は、まんま受け止めると思う。そして、それが「おかしい(まあ、異常かな)」と思うだろうし、多くの日本人も「おかしい」と思っている。
一眼レフカメラとか今でも良いもの、液晶TVみたいに見向きもされなくなったもの、それが今の「MADE IN JAPAN」であり、それは、まんまローカルであり、それを普遍的に捉えようとは思わないが、グローバルに多くの人がまんま見詰めている。(と、思うのだが、、、) 

今の先進国や話題になる新興国、欧州、米国、日本、中国、ブラジル、、、それぞれ各国固有の「おかしい」ところを抱えている。
日本で言えば「MADE IN JAPAN」の固有問題、それが如実に出た原発事故を、まさに固有の問題として捉え、解決を目指さなくちゃ、、、と思う。