大学改革論議が花盛り  改革より学生のモチベーションが重要でしょ

6月23日の朝日新聞に、大学改革の記事
大学改革―減らせば良くなるのか
http://www.asahi.com/news/intro/TKY201206220702.html

政府の国家戦略会議がテーマの一つとする大学改革論議で、大学の「統廃合促進」が取りざたされている。
いわく、大学が増えすぎて学生の質が下がった。専門知識はおろか一般教養も外国語も身についていない。大学への予算配分にメリハリをつけ、競争によって質を上げよ。校数が減って大学進学率が下がってもいい。
企業人や閣僚が、そんな主張を展開した。

これに吠えた内田樹氏のblogで知った。内田さんのblogは、いつも楽しく読ませていただいているが、この記事は文科省や企業への嫌味系なので何か言うことはない。彼がよくいう”子供たちの学びが再起動する”ことに大学改革は役に立たないという話。

記事にある議論は、政府の中長期的国家ビジョンを検討する国家戦略会議での「教育システム改革」の一連。2012年6月5日に文科省から「社会の期待に応える教育改革の推進」が発表され、ネットでも議論がされているようだ。
http://www.npu.go.jp/policy/policy04/pdf/20120604/shiryo1.pdf

大学改革で制度をいろいろ弄ってもなあ

大学改革に関しては、
1)小中一貫教育制度・高校早期卒業制度の創設(六三三制の柔軟化)
2)大学入試改革
3)大学の教育機能の再構築とミスマッチ解消
4)英語力・グローバル力の向上
5)国立大学のミッション再定義と重点支援
6)学生の75%を占める私学の質的充実に向けた支援・メリハリある配分
7)世界で戦える「リサーチ・ユニバーシティ」の倍増
が挙げられている。大学の統廃合促進とかの議論は、6)の私学支援「メリハリある配分」などで出てきたのだろう。

大学の入口に関する1)や2)、出口に関する3)、及び社会環境変化に対応した学科再編3)、グローバル対応4)、大学ごとのミッション設定5)、7)あたりが教育改革のポイントとのこと。役所が言う改革とは、法律をつくり、その前後で予算を獲得することが目的化する傾向があるから、注意深く見た方がいい。
1990年以降の大学改革も、例えば、1991年「大学設置基準の大綱化・簡略化」(一般教育と専門教育区分の廃止、カリキュラムの自由化、大学院の重点化とかですね)、2004年「国立大学の法人化(独立行政法人化ですね)」と評価の義務化など、ほとんど学生のことを考えず、学校自体を評価して管理する飴と鞭政策とか、教師の待遇問題が中心だった。

今回は、大学の入口や出口など学生に密接した制度改革がテーマにあがっている。「クリティカルシンキング」や「TOEFL等の活用」を挙げる2)大学入試改革は、それだけ見れば一見良いように思うが、クリティカルシンク検定とか、「クリティカルに考え、最も良いと思う選択肢を選べ」とかの問題が出てきたりしたら笑うに笑えない。
改革案には「多様性」「柔軟性」という言葉が躍るが、文科省が大学改革の法律を制定したら、真逆の方向に動く可能性を感じる。制度をいろいろ弄っても、あまり良い効果があるとは思えない。

学習にモチベーションを持つ学生をとるということ

大学の入口という話では、冷泉彰彦さんのコラム「ハーバードはどうしてホームレス高校生を何人も合格させるのか?」が考えさせられた。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/06/post-445.php

ノースカロライナ州に住むロギンスさんという女子高校生がハーバード大学に入学した話。彼女は、両親からネグレクトされ非常に不幸な家庭環境で育ち、高校に進学した時は不登校が目立つ学生だったが、そこから自分の力で這い上がって行きハーバードに合格。現在は、生物学を学ぶと同時に、自分と同様の境遇にある子供たちを救済するためのNGOの立ち上げ準備に入っているそうだ。
ちなみにロギンスさんのSAT(国語と数学の統一テスト)のスコアは2400点満点中の2110点で、これはハーバードの合格圏のやや下であり、1万人近い膨大な受験者が集中するゾーンだったらしい。

このように書くと米国リベラル派の いいね!の話のようだが、冷泉さんは2つ指摘している。
1つは、何故ハーバードが彼女を選んだか? 
これは極めてシンプルで、彼女がアメリカの大学が考える「合格基準としての学生像」に合致してたから。驚くことじゃなく、素晴らしい!じゃなく、普通だと。

(1)入学そのものが目的ではなく、入学後の学習に強いモチベーションを持っていること。(2)授業における建設的な問題提起、教師や先行研究への知的批判、大学コミュニティでの活躍など在学中に大学に貢献できる資質であること。(3)大学という場を活用して伸ばした能力を生かして、将来には社会的・経済的・学術的な成功者となりうる潜在能力を有していること。

が「合格基準としての学生像」とのこと。うん、いいですね。

2つ目は、何故ハーバードが3万通を超えるという願書の中からロギンスさんの願書に「キラリ」と光るものを見つけられたか?
これは同大学の「選考委員会」システムにあるらしい。 ”複数の専門家が、願書の一字一句、それこそ履歴書、エッセイ、推薦状、内申書を徹底的に読み込み、合格基準に合致した学生であるかを評価してゆくのです”とのこと。
これは本当に大変なことだと思う。大学が改革じゃなく、変化するためには、このような入口の仕組みが必要と思う。

学生のモチベーションを刺激するということ

もう一つ面白かった記事は、ノア・スミス(Noah Smith)さんという方のblog

大学は肩書きではなく「人的資本」を得るところである
http://blogos.com/article/41856/

ノアさんは、日本人の多くは大学を「モラトリアム(執行猶予期間)」と呼んでおり、大学生は多くの時間を遊ぶことに費やしていると指摘する(いや、その通りですね)。
ただし、大学には、仕事によっては獲得しえない、極めて重要な人的資本が三つあると言う。

1)モチベーション
2)視野を拡げること、そして
3)人脈
この三つが、私が考えるに、日本そしてアメリカの大学が学生へ提供すべき資本である。


モチベーションは人間関係がつくり(大学は「優秀な人材」が別の「優秀な人材」に出会う格好の場所)、視野が広がり(大学ではいろいろな人と出会い、新しい可能性が見える)、そして人脈がつくれることが大学の価値であると。
”大学が「集まり」を意味する「college」と呼ばれるのには理由があるのだ。”

なるほど。確かに、人から刺激を受けてモチベーションが上がり、視野が広がり、人脈をつくることは学生から見た大学の大きな価値だ。この人的資本価値をベースに、知識や教養をつける、専門を学ぶとか、従来から言われている大学の目的を実現する方が考え方としてしっくりくる。

よく学びのモチベーションは、
1)勝つ喜び(人よりも勉強ができてうれしい!)
2)わからないことが、わかる喜び(おお、わかった! うれしい)
3)人から伝染(ミメーシス)される(おお、あの凄い奴のようになりたい!)
の3つと言われる。日本の場合、大学受験までは、昔から受験勉強で、実質1)の勝ち負けが大半という状況が問題視されてきた。まあ、勝つことの喜びはokだけど、これだけじゃねとは思う。

大学は、「新たなわかる喜び」や、モアさんとかぶるが、「人から伝染されるモチベーション」を高める力が必要だろう。ようはモチベーションの問題だし、それを高める仕組みの問題だ。
これって別に大学改革とか関係なく、先生と学生、学生間、その人間同士の関係の変化の方がよっぽど求められていると思う。

モアさんが言う人的資本には、当然学生同士だけじゃなく、先生も入っているだろう。まあ、その辺は、日本の大学、いろいろあるかもしれないが、、、